”愛”を持って調理されればその食事は”純粋性”を帯びる。サットヴァの食事となるようだ。

”情熱”を持てばラジャス、”無知”を持ってはタマス。

この調理の原則の1つは「食」の世界だけでの原則と言う事ではないようだ。

 

社会に存在するあらゆるものを天秤にかけるようなこと、

「すごい」「すごくない」、「本物」「偽物」、「レベルが高い」「レベルが低い」、「波動が高い」「波動が低い」etc

2つの重さが釣り合うような事などありえないというような空気で。

それは何を持って”調理”されたんだろう?と好奇心をくすぐる。

 

豆は消化されるために一度火をくぐらないといけない。

親鳥は一度咀嚼してから雛に食事を与える。

”それ”はそのままでは消化できないようなものなんだろうな。

煮てない豆を赤子の口に突っ込むような事は危ないよ。

 

”調理”は火の1つの役割。

僕らの中で”知識”が”知恵”へと消化されていく。

そして知恵は僕らのハートに吸い込まれていく。

その時に僕らは”感じる”んだ。

 

この世界には凄腕の料理人は今も昔も存在している。

そのまま食べてしまえばこっちが食べられそうな、薬にも毒にもなる”それ”

をこの”家族”の為に”愛”を持って調理してくれている人達が。

 

毎日出てくるご飯に感謝しない日々はあったけど

これからはご飯を作る側になっていきたい。それが感謝されないとしても。

 

様々な国に僕らの個性のある、舌や目を喜ばす料理が存在している。

形はそれぞれ違う。

調理道具も違うだろう。

”それはなにをもって調理されたのか?”

そこに心が惹きつけられる。

2択で答えれる世界は面白くないな。自由回答は難しいけど。

でもその”自由”が世界を彩っているのは事実だ。

 

最後に僕の心にお願いしておこう。

むやみに天秤にかけるような事をしないでと、

出来る限りその物事の、特に悪と感じている物事の、奥の奥に沈んでいる”それ”を見せてよ、と

僕は希望を持っているんだ。

泥水を見続けていれば、そこに綺麗な蓮が咲くこともあるのだから。

 

 

終わり