インドの神様に配偶者が必ずと言っていいほどいる。
シヴァにはパールヴァティー。ヴィシュヌにはラクシュミー、ブラフマーにはサラスヴァティー。
その女神達は神の内なる神性を現していると。
昔、先生が「なぜ自分がある人を好きになるか、嫌いになるか」について
話していたのを思い出した。
その方は「自分の中にあるものしか外に見えない」と。
そういうことか。
僕らはもう1人の自分を探しているのだろうか。
それは抑圧された神性さとも言えるかもしれない。
その人は僕らの中の見えづらいものを見せてくれているのだろう。
これがミラーリングというものかな。
夫を神の様に、妻を女神の様に大事にするようにインドで語らせるのもこういう背景が隠れているのか。
道を逆に戻る時、好きと嫌いがなくなった時、僕ら自身が内なる神性を見る時とも言えるのかなと思ったり。
そこには全ての人の心臓に繋がる道が。
その時に感じれるものを想像して。
全てのものに神性を現してくれてることに感謝できる様に
月が食べられる前に綴っておこう。