ボディートークのセッションをしていると

終わった直後には全く変化がない。なんかリラックスできたな~くらいの感覚の方が多いのですが

それくらい”やられた感”がないナチュラルな療法ということで。

先日も終わった直後には受けて頂いた方も僕自身も変化を感じなかったんですが

「痛みがなくなる人も多いですよ~」と話してる内にご自身の長年の首の痛みを思い出して

動かしてみるとなくなっていたという。

この方がそうかは存じないのですが、その人にとって当たり前になってもう”変わらない”というゾーンに入ってしまいかけの

症状が変わる事はあります。それは身体面、心理面、精神面で。

あまりカウンセリングが得意ではないので

その変化を気づいて頂くように導けてないかも知れませんが。

まあそれも僕の1つのやり方になればいいなと言い訳したり。

個人的な意見としてボディートークに限らず、僕がセラピストとして働く時は実利主義です。

実際に困った症状がなくなってるならええか。という立場です。”やられた感”が”効果”と直結すると思いがちですがそれは真実ではないと思います。

もっと突き詰めてゆうと

”受けて頂いた方が幸せな道を歩んでいき(実際は症状が消えるかどうかは別ですが)ができて、ご自身の自然治癒力を本当の意味で信じて頂く”

”全体性を取り戻す”という意味での”ヒーリング”をセラピストとしてやっていきたいなと思ってます。

いい仕事です。修行の場でもある。結果に執着したり、ちらちら見える承認されたい欲求などに向き合ういい機会です。

カルマ・ヨーガの修行にもってこいです。関わって頂ける方に感謝いたします。

 

ちょっとカルマ・ヨーガの話。

日本ヴェーダンタ教会のスワミ・ヴィヴェーカーナンダさんの「カルマ・ヨーガ」の5章のタイトル

”われわれは、自分を助けているのであって世間を助けているのではない”

4,5年前か、初めて目を通した時は衝撃でした。

人の助けになる事してるんや!もっと勉強していこう!とか思っていた時期でしたので。

結局エネルギーは作られないし、破壊もされない物理学的に考えてもそれは真実やなと今は思います。

少しカルマ・ヨーガから引用すると

”高い台にのって手に5セントを持ち、「これ、貧しい人よ」と呼びかけるようなことはなさるな。貧しい人がそこにいるおかげで、彼にものを与えることによって私は自分を救うことができるのだ、と思って感謝しなさい。恵まれているのは貰う人ではなくて与える人なのです。自分がこの世で慈悲の力を行使することを許され、それによって、純粋に完全になることができるのを、有り難く思いなさい”

スポーツトレーナーとして働き始めて”人の変化”に携わっていく中でこの気持ちがなかった時も多い。

衝撃と同時に自分のエゴに嫌気がさして、こんな風に生きたいって憧れの感情が沸いたのも人生で初めてやったかも。

バガヴァッド・ギーターの3章の「カルマ・ヨーガ」の内容を(3章に限らないかな)消化しやすくしてしてくれ本でもあると

思いますので一応お勧めもしときます(^^

 

ある言葉を聞いた時の”違和感”っていい指標になると思うんですよね。

僕が昔衝撃を受けた上記の言葉も自分が考えてもいなかった実際に自分が感じていなかった感覚だから

衝撃をうけたんでしょうし。

「1+1=2」と聞いても”違和感”がないのはそれを僕らが理解しているから。

この”違和感”を僕は自分の変化を気づく為に使います。哲学など小難しい事を学ぶだけで

賢くなった気にならないように、実際に自分の身となり骨となっているのか確かめる為に。

ブログも将来自身が見た時にその感覚と向き合うチャンスになるので

やっぱり今の思いは綴って残していこうとおもうわけです。

 

セラピストとして思う事だけ書く予定が長くなりました。。

長文お読み頂きありがとうございます。

 

岡﨑悟