インテグラル・ヨーガを最近読み返してました。

スワミ・サッチダーナンダさんがヨーガ・スートラの解説をしているものです。

書物とゆうより話し言葉で書かれてて、例え話も多く。この方の視点の広さが見える良書と思いました。

訳に関わった方も少し知っておりますが、信頼できる方と思ってます。

 

クリヤ・ヨーガ。

これは生活の中で実践するものとしてサーダナ・パーダの初めに書かれています。

よく聞く八支則よりも前にこのクリヤ・ヨーガに言及しているのは興味深いです。

クリヤ・ヨーガは3つから

・タパス(苦行)

・スワディヤーヤ(研究)

・イーシュワラ・プラニダーナ(至高の存在に身を委ねる事)

 

タパス(苦行)は本来火を身体の中で起こして、自身を清めていくと言う事。

清めてくれるその苦痛を受け入れる、それがタパスと言及してます。

個人的に運動がわかりやすいかなと思ったり。

その時はしんどいけどそれは自分を変えてくれるのを知ってる方がんばれますよね。

僕は筋トレが大好きだったんで、筋トレでものすごく追い込んで超回復を経た時前よりおっきくなってたり

カットが出てるとやったかいを感じてました。

肉体的に火を起こして身体を清浄にしていく。それは神さんの乗り物と思って。

それが精神的にも適応されるのを理解したら普段のあらゆる痛みを自分を磨いてくれるものとして

受け入れれるのかなとか思ったり。。

 

日本ヴェーダーンタ協会のメルマガでいい言葉が1日1つ届くのですが

少し前に

”許す事は神聖な苦行”(ホーリーマザー)

という言葉がすごく響きました。

他人を許す、自分の過去の過ちを許す。それは心の苦痛を伴うけど

それは僕らを癒やしてくれる。

生活の中でこのタパス”許す”事は実践して

口だけでなく心から許せる様になっていきたいな。

 

その為にも次のスワディヤーヤ、聖なる書物の研究が助けにもなると思ってます。

聖なる書物を勉強して”本当の自分”について理解していくと

他人との分離感が小さくなって、このちっさい”私(i)”と”私の”が薄れていく

おっきな(I)を意識する事で恐怖心もなくなって人を評価することも評価を気にしすぎる事も

なくなっていく。そんな目的で僕は勉強してます。

 

そんな勉強が次のイーシュワラ・プラニダーナに繋がるのかなとも思ったり。

”至高の存在に身を委ねる”

こういう言葉はある人には”それは弱さ”だとゆう人もいますが

僕は強さだと思うかな。”委ねる”って怖い事じゃないでしょうか。

それを乗り越えて、自分の利己的な心も超えて、委ねる事それは僕の願いの1つ。

委ねたいけど、なにかを埋めるために”ああしたい””こうしたい”と頭が騒いでる時がある。

イーシュワラ・プラニダーナは”全ての行為の果実をそれに捧げる”ともいえます。

”カルマ・ヨーガ”に繋がりますよね。

カルマ(行為)を持ってヨーガ(結合)していく。

”委ねる”事を全て神様におまかせするだけ。それとは少し違う気がします。

自分のやるべき事(これは人によって、立場によって変わってくる)は一生懸命やる。

けどそれによって得れるもの(果実)は全て至高の存在に捧げる、それに執着しないとゆうこと。

インテグラル・ヨーガの中でヒンドゥー文化の儀式(プージャ)とあわせて書かれてました。

儀式では果物などを神様の前に捧げます。儀式の後に僕らがそれを頂くのですが

それをプラサーダと言います。僕らが家でお仏壇にお供え物をする、その後頂くのと一緒かな?

そこに含まれた意味はまさに”行為の果実を捧げて、結果は残り物を頂く”という事とつながっていました。

 

僕の大好きなクリヤ・ヨーガについて思う事つらつらでした。

汚い文章で失礼致しました。なにか誤解がないように書いてるつもりですが

お気に触れるような事があればおっしゃっていただければ嬉しいです。